楠森堂ブログ
大正期築「旧楠森製茶場」実測調査の様子が新聞に掲載されました
楠森製茶工場の敷地内に現存する大正12年に建設された旧製茶工場…
現存はするものの老朽化が激しく、また今年になり工場前の道路拡張計画が浮上し、工事が実施されれば旧製茶工場の施設の一部が取り壊されることになるため、国内に存在する多くの製茶工場の中でも最も古い工場(稼働はしていませんが…)、「茶業の近代化への流れ、また福岡県のお茶の歴史を知るうえで、昔ながらの施設が現存する貴重な建物(産業遺産)」として「倒壊、解体するにしても記録保存だけは早急に行う必要がある」として以前から評価をいただいていた、全国に現存する旧茶業関連施設を専門に調査研究されてある東京の工学院大学の二村悟氏に実測調査を行っていただくことになり、先日8月22日に実施、その様子が西日本新聞に掲載されました。
今朝の西日本新聞ホームページにも掲載されました
大正期の製茶場 「記録保存を」 / 平成24年8月28日 西日本新聞 朝刊
『H24年8月31日 日本農業新聞掲載』
●産業遺産としての価値
大正12年に建てられた製茶工場がほぼ当時のまま残っていることだけでも歴史的建築物としての価値がある。
由緒、来歴もはっきりしている。さらに、昭和8年に農林省指定工場となっており、製茶関連施設として、また茶文化の担い手として史的価値は高い。加えて、農林省指定後、品評会も開催されるようになり、戦前の一次工程を行う製茶工場としては珍しく増築ではあるものの日除けと拝見場が付く。併せて製茶場を管理した茶業功労者の旧宅も残っている。
産業遺産としての意義は、機械は撤去されたものの当時の姿をよく留めており、水車の動力跡、常設の合場などの設備に加え、外観上の姿は製茶場らしくなく、どこか威厳のあるファサードとなっている点など随所にある。
最大の意義は、建設後に農林省指定となった工場が現存することで、指定となったことに応じて適合措置を取るという、単純な近代化の過程での変化とは違う産業施設としての間取り等の変化の様子を持つことである。
(二村 悟 氏)
現在は使用されることの無くなった、旧楠森製茶工場…
楠森製茶の歴史
旧工場は大正12年に建築されました。
昭和初期の最盛期には畑の栽培面積は十二町歩(約12ha)、単独所有での栽培面積では県内はもとより、全国でも最大級の規模を誇っていたとされ、昭和八年には農林省指定の模範工場に選定され、畑の一部は国や県の試験茶園としても活用されていました…
大正期に建設された当時のまま現存する、旧工場の外観
昭和初期に撮影「製茶工場」
「拝見場(はいけんば)」…茶葉の鑑定場所
拝見場とは、茶の色や形、蒸し具合品質を見極める場所で、現代では照明器具の普及などにより、このよう拝見場は無くなり、昔ながらに太陽光を採り入れた拝見場が現存するのは極めて貴重だとのことです。
直射日光では天候によって見え方が変わり、品質の比較や混入物の発見が難しくなるため、戦前は斜め上から太陽光を採り入れ茶葉を鑑定していました。
黒塗りの遮光板を取り付け、台上に置いた茶葉はやさしい光に照らされはっきり見えるように工夫されています。
旧製茶場の下を流れる床下水路…水路に段差をつけ水車を回し、製茶機械の動力源のひとつとして利用されていました。
Ecoですねー(^^)
合場(ごうば) (製品部屋)
最終工程の乾燥作業を終えた荒茶が風の力で送り込まれ、大袋に詰め出荷作業をこの部屋で行っていました。
上部の管からお茶が送り込まれ、最盛期には手前に仕切り板をはめ込んだ6部屋ある小部屋(高さ約2㍍、奥行き約1.5㍍)すべてがお茶でいっぱいになっていました…
現在は倉庫として利用している、旧製茶工場内。
最盛期の製茶作業風景。
旧製茶工場の東西を流れる水路。
初夏には沢山のホタルが飛び交います。
その旧工場の裏には小さな畑が有り、その間に流れる水路の脇には水仙の花や菜の花など四季折々の花が(^^)!
その旧製茶工場も、現在は少しずつ建物自体が傾き始め、屋根は波うち、大きな地震や台風などで倒壊の懸念も…
大正時代に建てられた製茶工場。
工場内にある「拝見場」を始め、今に伝える昔ながらの様々な設備の跡は、研究者の方の話では極めて貴重なものばかりだとのことです。
保存、活用の道も考えたいところではありますが、建物は極度に老朽化が進み、文化財の家を含め周りの様々なものも同様、一斉に老朽化が進む現状では、旧工場までは手が回らないのが現状です…
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【◇前編◇】楠森 河北家「千二百年!先祖物語」⋄ドキュメンタリー番組⋄
【◆後編◆】楠森 河北家「千二百年!先祖物語」⋄ドキュメンタリー番組⋄