楠森堂ブログ

筑後の発展を支えた鉄道『 🚂 筑後軌道 』

メディア掲載

 

◈ 地域の発展を支えた歴史の記憶を伝える遺構がまた一つ消える‥

かつて🚂蒸気機関車も走っていた『今川橋 』。

【「今川橋」/うきは市浮羽町東隈上 】

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2020年ころから丸4年の期間を要し、昨年令和5年 (2023)、新たな橋への架け替え工事が完了。

≪ 2021年2月撮影/「旧今川橋」横に新しい橋脚が完成。大型クレーンを使用し 橋台の設置作業を行う様子 ≫

 

歴史的 (時代的) 役割を果たし終えた旧今川橋。

誰からも目を向けられることなく、関心さえ持たれず‥

明治時代に造られた煉瓦積みの橋脚解体撤去工事、粛々と進められている‥

 

↑↑【橋脚の画像は 2021年に撮影したもの  ※解体撤去工事が進む現在は、関係者以外〝立入禁止〟 】↑↑

 

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【昭和28年の水害で橋が半壊。旧橋脚3本のみが残る】

〝昭和28年6月26日、 今川橋半壊のため千足から杷木線県道通行不能に〟
(付近の住宅1戸、消防ポンプ格納庫が流出する)

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■ 『 🚂 筑後軌道 』― 1903~1929 ― ■

 

明治から昭和の初頭までのおよそ30年間、 現在は車道である福岡・久留米から大分・日田間を鉄道が走っていた。

 

≪ 市街地 (現 うきは市吉井町「国道210号線」) を走る蒸気機関車 ≫

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今の鉄道とはちょっと違う、一回り小さな機関車🚂が 町中を駆け抜け、筑後川下流域の農作物や工芸品、酒、木蝋、久留米絣など物資の運搬ルートとして、庶民の足として、大活躍していた。

 

久留米から大分を走る現在の〝JR久大本線の前身〟とも呼べる「筑後軌道」だ。

 

 

 

 

 

明治36年(1903) に開業した筑後軌道の「本線」は 順次路線を伸ばし、

現JR久留米駅前を始点として荘島町、日吉町、国道3号線を横切り、千本杉、御井、旗崎と「国道210号線」を東へ進む。

さらに田主丸、筑後吉井を通り日田の豆田駅が終着駅。

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≪ 豆田停車場 (現 大分県日田市豆田町) ≫

 

 

その当時宿場町として栄えて賑わっていた〝久留米~日田間〟の48㎞という距離を3時間25分かけて走っていた。

(最高速度は、時速20㎞程だったと思われる)

停留所は駅舎があったわけではなく、今のバス停のようなものだった。

 

物資の輸送も多く、久留米からは石炭や石油といった燃料、衣類や日用雑貨を、日田からは木材や漆器、吉井で盛んに生産された木蝋などが載せられていた。

 

 

廃止され 約100年‥

今も所々に残る 軌道遺構。

森林に埋もれていたり、筑後川が水位低下すると出現する石積みの橋や筑後軌道の廃線跡‥

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≪ 筑後川の水位低下で現れた道床の石垣  (福岡県うきは市浮羽町三春) ≫
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↑ ↑ ※ 対岸 (大分県日田市) から撮影 ↑ ↑

🔗【 楠森堂ブログ / 2015.9.26 】►►「3年に1度の貴重な体験 !? うきはの歴史的土木遺構〝 袋野隧道 探検 〟開催 !!」

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■  今川橋 ほとりの「 隈上城跡」/ 鎌倉期  ■

<うきは市浮羽町東隈上>

 

今から 834年前 ( 西暦1190年/ 建久 元年 )、

遡ること 35代前の先祖が初めて浮羽の地に移り住んだ 私たち河北家の歴史においては “ ゆかりの場所 ” ‥今川橋すぐほとり「隈上城跡」。

現在 楠森堂 のある場所は、浮羽町内〝3箇所目〟となる居住地 ( 西暦1616年/元和 二年 = 408年前 ~ 現在 )

 

 

 

 

↑  ↑  ↑    ▶▶【 美術評論家 | 河北 倫明(かわきた・みちあき) 1914~1995 】
(※  河北 倫明  = 私の祖父の弟〝大叔父〟)

鎌倉期から明治維新まで日本と朝鮮の外交・貿易を常に主導的立場で両国の関係維持につとめた対馬藩主・宗家の血も引く 私たち河北家。

▷ ( 私の祖父「俊弼」の 母「 縫 (曾祖母) 」の 祖母 (高祖母の母) は、対馬府中藩 13代藩主・宗 義質の娘「 くら姫 」)
▷ ( 私の祖母「モト子」の父 (曾祖父) は、 第二次大戦後の昭和22年 (1947年)、 公選 初代 の久留米市長に就任し、 戦災からの復興に尽力、近隣自治体との合併、 絣産業<久留米絣>の復興などに取り組んだ 「 岡 幸三郎 」)

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↓【 ※「河北倫明」生家 =〝 楠森堂 〟  】↓

🍓🍑 【Ukiha Map】🍎🍇

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【 西日本新聞 / 2024年 (令和6年) 2月21日 】

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▷ (ちなみに同時代、私の曾祖父(母方) 多田勇雄は、筑後川 (筑後軌道) 対岸を走る「🚂 朝倉軌道/二日市~杷木 (1908~1940)」社長を務めていた )

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『多田勇雄』の肖像画

( 洋画家「中村 琢二」作 / 福岡県宗像市出身

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〝全国でも珍しい!?〟

■ 令和9年度完成を目標。「ラウンドアバウト」信号機のない円形(環状)交差点 ■

 

橋の架け替え工事と並行して進められていた「今川橋」から1kmほど先にある うきは市浮羽町「高見交差点」、全国でも珍しい円形交差点 (ラウンドアバウト)、 令和9年度完成を目標に 現在も整備事業進行中。

 

 

ラウンドアバウト (環状交差点) はヨーロッパを発祥とする交差点形式のひとつで、 超有名どころではフランス・パリ。「エトワール凱旋門」を中心に12本の道路が放射状に伸びる。

その1本が〝世界で最も✨美しい通り〟とも称される「シャンゼリゼ通り」だ。

 

この「 エトワール凱旋門 」(map▶) 近く に 楠森堂🌿在来茶をお取り扱いいただいているとても素敵な  Tea shop「 artéfact 」さんがある。

なんと!?今月末、ここ楠森堂にパリからわざわざお越しになるご予定。

 

また偶然にも同じタイミングにして、その数日後、

10年ほど前から🌿在来茶を お取扱いいただく 🗽ニューヨークの Tea shop 関係者の方も訪れられる予定。

 

 

🌿在来茶‥ キテマス👍

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[ ~YouTube~: 放送動画 ]

⋄楠森河北家 先祖物語⋄ JNN九州沖縄ドキュメント『ムーブ・move』

/2015年 (平成27) 放送

MUJI  無印良品

【 ローカルニッポン | 福岡・うきは 】

「 在来茶と地域に生きる 」― 楠森堂・河北幸高さん ―

(コチラから記事をご覧いただけます)

▼  ▼  ▼

https://localnippon.muji.com/7049/

 

 

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