在来茶への想い
(生産者より)

様々な要因が重なり奇跡的に残った
楠森堂の実生在来茶園を守りたい。

今から千数百年前に海を渡った僧たちが茶の種子を中国から持ち帰りました。
その種子を蒔いたことから我が国での茶の栽培が始まり、そして日本各地に広まったといわれています。

昭和の中期から現在にかけて多くの茶の品種が開発されましたが、それは生産性や味や外観の均一性を重視したお茶で、今では市場に流通するお茶は改良された品種が占めています。

日本のすべてのお茶の原点となる日本古来の「在来種の茶」は、生産量も少なく国内から消滅しつつありますが、在来種のすべての茶樹一本一本が世界唯一の貴重な茶樹であることを思うと、在来茶を絶やしてはいけないという想いに駆られます。
= 国内全茶園の品種割合 < 改良品種99% / 在来種1% >=

2006年‥ 30歳の時に会社員を辞め、自らのルーツでもある父の実家 (国登録有形文化財)、伝統行事など歴史的環境を守り引き継ぐため、うきは市に家族とともに移住、そして就農。 昔から受け継がれてきた茶園が 国内に僅かに現存する稀少な在来種であることを知りました。

何千年もの永い時の中で自然交雑を繰り返し生み出され、様々な貴重な固有種の茶樹が混在するのが、楠森堂の「実生在来茶園」。
千数百年もの間、日本人がずっと飲み親しんできた在来茶の味を守りたい、この貴重な茶園をなんとか後世に残したい、昔ながらのお茶の味わいをたくさんの方に味わってほしい‥という想いから、まだまだ試行錯誤の連続ではありますが、荒廃しつつあった楠森堂在来茶園、国内から消滅しつつあった在来茶の再興に取り組んでいます。

生産者河北 幸高 Yukitaka Kawakita河北家28代目

◇ 建久元年・祖先が豊後·日田から浮羽の地に入り「36代目」/ 山北の地に移り「28代目」

1975年(昭和50年)生まれ。福岡県筑紫野市出身。
2006年(平成18年)30歳でサラリーマンを辞め、うきは市に移住。農業の経験もお茶の知識もまったくない中、父親の実家である楠森堂でお茶の生産を始める。
現在、茶3.5ha・米80a・柿30aを生産。
妻と一男一女の4人家族。
国登録有形文化財「楠森河北住宅」敷地内に自宅を建て居住(文化財の母屋には父である河北家27代・宣正氏が在住)。

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