楠森堂ブログ
倒壊の懸念… 大正築の旧楠森製茶場
現在は使用されることの無くなった、旧楠森製茶場…
その旧工場の裏には小さな畑が有り、
その間に流れる水路の脇には、水仙の花や菜の花が春のやさしい日差しに照らされていました。
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【参照文献】
『近代期における楠森河北家の地域的展開』
(九州大学大学院人間環境学府空間システム専攻) *木村 萌*
► ► ►【https://www.hues.kyushu-u.ac.jp/wp-content/uploads/2022/10/2HE12005N.pdf 】
今も残る旧楠森製茶場…
この工場は大正時代に建築されました。
昭和初期の最盛期には畑の栽培面積は十二町歩(約12ha)、単独所有での栽培面積では県内はもとより、全国でも最大級の規模を誇っていたとされ、昭和八年には農林省指定の模範工場に選定され、畑の一部は 県農事試験場 委託試験茶園 としても活用されていました…
⇧⇧国内最古とされる「旧楠森製茶場」建屋
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⇩⇩昭和初期に撮影。稼動中の「楠森製茶場」
<茶栽培の先進地、静岡県から招いた茶の技師・溝口徳平氏 ( ↑ 前列左端)>
茶栽培 先進地の静岡県から茶の技師を招き、最先端の機械や製茶・栽培技術を取り入れ、農林省指定の模範工場として、当時は遠方からも多くの視察団が訪れていたといいます。
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❐ 楠森堂のお茶 History ❐
► ► ►【 https://kusumoridou.com/about/history/ 】
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製茶場前で昭和初期に撮影されたセピア色の古い写真。
製茶場の看板は『農林省指定・山春製茶場』となっています。
右端の男性は静岡から招いた茶の技師・溝口徳平氏。
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【 2012年 [平成24年] / 県茶連 (福岡県茶生産組合連合会) 発足50周年記念式典 】
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その徳平氏の子 (長男) 溝口育平氏は、
昭和中期に〝楠森製茶場を離れ〟福岡県産がブランド統一された “八女茶” の、栽培・製茶の技術指導員となり、
福岡県の茶業発展に大きく寄与した。
平成24年、八女市において盛大に開催された『 福岡県茶生産組合連合会 (県茶連) 発足50周年 』記念式典において、
八女茶産地の飛躍・発展と 銘柄高揚へ多大な貢献をした8名の茶業功労者の内の一人として 育平氏も表彰された。
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( 〝八女茶の発展に寄与〟した「楠森製茶」は衰退の一途に‥)
楠森堂 HP ►►「楠森堂のお茶の歴史/ ►►【 https://kusumoridou.com/about/history/ 】」の文章を一部抜粋。
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戦後の高度経済成長期になると、多くの人が外に働きに出始め、さらに農作物全般の品種改良や栽培技術が進むことで収穫時期が変化
早春の農閑期の仕事を作り地域を豊かにするための茶の生産、 手の空く時期に茶の生産に携わるという形態が続けられなくなりました。
また、茶の試験場・研究機関( 現・福岡県農林業総合試験場 八女分場 )が八女・黒木に新設されたことが機となり、方向性の齟齬も生じつつあったことで統括人材が流出。
他の生産地では品種化や設備の近代化が急速に進むなか、従業員の高齢化や後継者の問題もあったことから、楠森堂は品種化や設備の更新も行われないまま縮小の一途をたどりました。
しかしそのことが、結果的に、今では全国的にも極めて希少となった「在来種」の茶樹を現代まで残す結果を生んだのです。
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戦前、全国の茶園は日本古来の〝実生在来種〟 だった。
在来茶全盛期、 在りし日(昭和初期)の貴重な記録写真。
県指定〝種子〟生産専用茶園。 〝採種〟するためだけの茶園。
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戦後、国内の茶生産地において、挿し木増殖クローン苗から育てる〝改良品種茶園〟への改植・新植が急速に進み、
昭和中期 から 平成初期にかけて 完全移行。
〝採種〟専用茶園は 国内から〝完全消滅〟
よって、現代の茶業環境では、新たに実生在来茶園を広げることは、ほぼ 不可能なのだ。
〝稀少 · 貴重〟な日本古来の🌿在来種のお茶。
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月刊誌「茶」2017年8月号の表紙に取り上げていただきました。
月刊誌「茶」は、公益社団法人 静岡県茶業会議所が発行する〝茶業界 唯一〟の月刊誌 です。
月刊誌「茶」では、栽培、加工、流通、消費、効能、歴史、文化など国内外のお茶に関するあらゆることを取り上げています。
また、国別緑茶輸出・お茶輸入状況や一世帯あたりのお茶の購入量・金額などの統計資料も掲載されています。
茶業関係者でなくても、お茶が好きな人が興味深く読める雑誌です。
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❐ 公益社団法人 静岡県茶業会議所のサイトから、月刊誌「茶」の定期購読のお申し込みができます。
・公益社団法人 静岡県茶業会議所
https://shizuoka-cha.com/
・月刊誌「茶」購読申込みページ
https://shizuoka-cha.com/index.php/books
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【豊富な水資源の活用】
旧製茶場の下を流れる床下水路。
水路には段差がつけられており、
その高低差を利用し「水車」を回し、製茶機械の動力源として利用していました。
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その後「水力タービン」に。
Ecoですねー(^^)
【製茶機械の動力源「水力タービン」】
最盛期の製茶作業風景。
現在は倉庫として利用している、旧製茶工場内
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【参照文献】(都市・建築学研究九州大学大学院人間環境学研究院紀要第32号)
大正期に建設された水力製茶場の空間構成と生産システム
- 福岡県浮羽町の旧楠森製茶場調査報告 -
* 赤田 心太・菊地 成朋・山田 達郎 *
► ► ►【 https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1854978/p001.pdf 】
【「拝見場(はいけんば)」…茶葉の鑑定場所】
拝見場とは、茶の色や形、蒸し具合品質を見極める場所で、現代では照明器具の普及などにより、このよう拝見場は無くなり、昔ながらに太陽光を採り入れた拝見場が現存するのは極めて貴重だとのことです。
直射日光では天候によって見え方が変わり、品質の比較や混入物の発見が難しくなるため、戦前は斜め上から太陽光を採り入れ茶葉を鑑定していました。
黒塗りの遮光板を取り付け、台上に置いた茶葉はやさしい光に照らされはっきり見えるように工夫されています。
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【合場(ごうば)/ 荒茶 貯蔵庫 】
最終工程の乾燥作業を終えた荒茶が風の力で送り込まれ、大袋に詰め出荷作業をこの部屋で行っていました。
高さが2mほどある6部屋ある小部屋には、上部の管からお茶が送り込まれ、量が増えると小部屋の手前に仕切り板をはめ込んでいきます。
そして、
この「合場」の真下には水路が通してあり、
乾燥から上がったばかりの〝熱を持った茶葉〟や〝部屋の室温〟を床下から冷ます〝自然冷却装置〟とする工夫も施されていました。
Ecoですねー(^^)
最盛期には、すべての部屋がお茶でいっぱいになっていました…
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製茶工場敷地内には水路が張り巡らされ、
下の画像は、
製茶機械の動力源として、また、茶葉や製品部屋を冷却するための
製茶場の真下の水路へ注ぎ込む〝枝分かれ〟ポイント。
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旧製茶工場の東西を流れる水路。
初夏には沢山のホタルが飛び交います。
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その工場も、少しずつ建物自体が傾き始め‥
屋根は波うち‥
大きな地震や台風などで倒壊の懸念も…
大正時代に建てられた製茶工場。
工場内にある「拝見場」を始め、今に伝える昔ながらの様々な設備の跡は、研究者の方の話では極めて貴重なものばかりだとのことです。
保存、活用の道も考えたいところではありますが、
建物は極度に老朽化が進み、文化財の家を含め周りの様々なものも同様、一斉に老朽化が進む現状では、
旧工場までは手が回らないのが現状です…
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[ ~YouTube~: 放送動画 ]
意地と誇りにかけて… 楠森河北家
/ 2015(平成27)
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楠森河北家 先祖物語⋄ JNN九州沖縄ドキュメント『ムーブ・move』
/2015年 (平成27) 放送
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楠森堂・実生 在来茶『人生コレに賭けてます』
/2020(令和2)放送
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『楠森堂』 三〇〇年の伝統行事「壁結」
/ 2013(平成24)放送
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MUJI 無印良品
【 ローカルニッポン | 福岡・うきは 】
「 在来茶と地域に生きる 」― 楠森堂・河北幸高さん ―
(コチラから記事をご覧いただけます)
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【 https://localnippon.muji.com/7049/ 】