楠森堂ブログ

西日本豪雨。室町時代に造られた井手(用水路)の土砂撤去作業

うきは

西日本を襲った記録的な豪雨。
6年前の九州北部豪雨で氾濫した近所を流れる隈上川も、再び氾濫危険水位寸前まで迫りました。

その豪雨の影響で 室町時代に造られたと伝わる 隈上川から田んぼに引いた井手(用水路)も数カ所が土砂で埋まり、水は完全にストップ。
田は干上がり始め、早急になんとかしたいが機械など入れない場所に引かれた井手。
自分たちでやるしかない!ということで、2日がかりの大量な土砂の撤去作業。
40歳代は私を含め2名。あと60~80歳代4名の総勢6名での作業。 60~80代の皆さんのパワフルさには、ただただ感服…

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高いところでは腰辺りまであった土砂も完全に撤去。再び井手に澄んだ水が流れ始めました。

(室町時代に造られた歴史を感じる取水口。)

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造られてから600年以上経過しているとされる、市内最古のもの。…未だ現役。

河北家の祖先が、日田 (大分) から浮羽 (隈ノ上) の地に移ってきたのは源平合戦終了後、鎌倉時代が始まるころの 828年前 (西暦1190年)。

浮羽町山北の地に移り住んだのが南北朝内乱の時代、678年前(西暦1340年)。

そして現在の家 (※楠森堂) の場所 (山北・楠森名) に居を定めたのが 江戸幕府 初代将軍・徳川家康が没した年、 402年前 (西暦1616年)。

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この水路(畑田水利)については、古賀地区(浮羽町)に残る「天野長者由緒録」というのに記録があるという。

『 明応2(1493)年、赤尾の溜池流出、山北の南より水路、小椎尾川の水を取り入れる 』…

戦国時代(室町時代)に突入し間もない頃。

記録に残る水路としては、この水路(畑田水利)が うきは市最古のものと考えられている。

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数百年前に造られた水路沿いは自然と歴史を感じる風景が続く。

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脱水症状でダウンする人も出る中、なんとかある程度の土砂撤去完了。
川石を並べ簡易の「堰」を作り水位を上げると水路に澄んだ水が流れ始めた。
1kmほど先に広がる田園地帯。
干上がりひび割れていた田にようやく水が注ぎ込む‥

 

今回の記録的な豪雨。被害に遭われた方の人数はさらに拡大し、11日午後7時現在のまとめでは、亡くなられた方は13府県で176人、安否不明の方は依然として86人にも上るそうです。
甚大な被害が及んだ地域の一日も早い復興・復旧、被害にあわれた方の生活と心に一日も早く平穏が戻ることを心よりお祈りいたします。

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【楠森堂ブログ/ 2020】

🔗→『 田植えシーズン前の〝井手さらい〟。数百年の歴史ある市内最古の疎水路〝秘密の小道 !〟』

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【楠森堂ブログ/ 2020】

🔗→『 豪雨で井手 (用水路) に流入・堆積した大量の土砂‥人力撤去作業 』

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/2015年 (平成27)

 

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