楠森堂ブログ

豪雨で井手 (用水路) に流入・堆積した大量の土砂‥人力撤去作業

うきは

先日ようやく梅雨が明け、川の水量も落ち着いたため、田んぼの水が干上がる前に、今日は朝から 毎年この時期恒例となった、梅雨の豪雨&濁流の影響で井手 (用水路) に流入 堆積した大量の土砂の撤去作業。

ここ数年で一番酷いかもしれない…

 

 

膝の高さほどまで堆積した 土砂や石、その距離200mほどはあるだろうか‥

数百kgほどある 斜面から落ちてきた 大~きな石も‥

機械は入らないので撤去作業は すべて人力で行う。

 

 

造られてから500年以上経過しているとされる、市内最古のもの。…未だ現役。

河北家の祖先が、日田 (大分) から浮羽 (隈ノ上) の地に移ってきたのは源平合戦終了後、鎌倉時代が始まるころの 830年前 (西暦1190年)。

浮羽町山北の地に移り住んだのが南北朝内乱の時代、680年前(西暦1340年)。

そして現在の家 (※楠森堂) の場所 (山北・楠森名) に居を定めたのが 江戸幕府 初代将軍・徳川家康が没した年、 404年前 (西暦1616年)。

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この水路(畑田水利)については、古賀地区(浮羽町)に残る「天野長者由緒録」というのに記録があるという。

『 明応2(1493)年、赤尾の溜池流出、山北の南より水路、小椎尾川の水を取り入れる 』…

戦国時代(室町時代)に突入し間もない頃。

記録に残る水路としては、この水路(畑田水利)が うきは市最古のものと考えられている。

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かなり昔に造られた歴史ある疎水路。

[ 石堰を組み上げる前 ]

 

7名での作業。 8割程度の土砂や岩は撤去しただろうか。
すべての土砂の撤去は諦め‥
最後に、 原始的ではあるが 川石を組み上げ、濁流で流された「堰」を再び築くと、次第に水位が上昇、

ようやく井手 (取水口) に水が流れ込み始めた…
(※石堰の向こうに見えるのが井手の取水口)

土砂の撤去作業で全身汗と泥まみれ‥ 作業着&地下足袋のまま川にザブン! 全身丸ごと洗濯! 気持ちいイイ~!  お!カワセミ!

 

再び井手に水が流れ始めた

【 △ 土砂撤去作業(前) △ 】

【 ▼ 土砂撤去作業(後) ▼ 】

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井手沿いの小道、この風景が大好き。

干割れた田にようやく水が入り始めました‥

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【楠森堂ブログ/ 2020】

🔗→『 田植えシーズン前の〝井手さらい〟。数百年の歴史ある市内最古の疎水路〝秘密の小道 !〟』

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【楠森堂ブログ/ 2018 】

🔗→『 西日本豪雨。室町時代に造られた井手(用水路)の土砂撤去作業 』

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楠森河北家 先祖物語⋄ JNN九州沖縄ドキュメント『ムーブ・move』

/2015年 (平成27)

 

 

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「 在来茶と地域に生きる 」― 楠森堂・河北幸高さん ―

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