楠森堂ブログ

今日は「満月」という事で「三日月山」の話 (^^♪

うきは

今日の日中は暑くなるという事で、早朝涼しいうちの早めの始動。
AM3:30起床、5:30仕事開始。11:00頃ちょっと息切れ…小休憩。
空を見上げると… お~綺麗なすじ雲♪ すっかり秋の空!

お茶園の向こうには真ん中が大きく“凹んだ”山が見えます。

東側に見えるこの山‥

筑後川を挟んで うきは市の対岸、

福岡県朝倉市と大分県日田市の県境に位置する「三日月山(標高496.7m)」です。

うきは市の皆さんは、「鍋助山」との通称で呼んであるようです。

◈「鍋助」= 鍋敷。 鍋下に敷く意味の「鍋助(なべすけ)」

 

他にも、地元では「大垰 (おおたお) 」と呼ぶ方も。

◈「垰 (たお)」= 山の尾根の少しくぼんだ土地のことを意味する言葉。
◈「全国各所にある峠名」=大峠 (おおたお・おおとうげ・おおごえ・おおたわ・おおとう)

 

うきは市の山ではないのですが、うきは市からが 最も綺麗に見えるその山の姿‥

うきは市に里帰りされた方は 〝鍋助山〟の風景を見て「帰ってきた~!」と感じる方もいらっしゃるとか(^^)

 

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この山にちなむ物語が好きで、
また、天候や時間帯で刻々と変化するこの山のある様々な自然風景がまた大好きなんです!
三日月山から昇る朝日♪
(わが家の近所で撮影📸)

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遡ること42代前の河北家の先祖に相撲の神様「日田どん」こと大蔵永季 (ながすえ) という今に語り継がれる歴史的人物がいる。

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平安時代に「日田どん」と呼ばれて慕われた怪力無双の男がいた。
その名は大蔵永季(おおくらながすえ)。
▶〚 53代 大蔵永季(日田どん)| 95代 河北幸高 (私) 〛

 

延久3年(1071)永季が16歳の時、京で行われた後三条天皇の 相撲の節会(天覧相撲) に召しだされ優勝。
以後30数年間で15回優勝し続け、日本一という相撲の記録を作り、現代でも永季は“相撲道の神”としてたたえられ、大分県日田市の日田神社に相撲の神様として祀られています。
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◆ 大蔵永季(1056-1104)
平安時代に京都でおこなわれた 相撲節会 に出たことが記録に残っており、その実在が明確になっている。
その最期も京都からの帰りに病を得て、領内に戻ってきたところで亡くなったとされている。
・ 1104年(平安後期)、京都での相撲節会より帰国途中、 大肥庄村薄にて死去。▸▸ 大分県 日田市大鶴地区に「大蔵永季」の墓 がある。

 

【 大肥庄 ( 荘園 )|おおひのしょう 】
現大分県日田市、小野(おの)・鶴河内(つるがわち)・大肥(おおひ)・夜明(よあけ) 一帯、
筑後川支流の鶴河内川・大肥川流域に比定される太宰府天満宮 安楽寺領
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領内に戻ってきたところで亡くなった‥ とされている‥

その京都から帰国途中、900年前に永季が息絶えた「大肥庄村薄」という場所が、

まさにこの場所..

福岡県朝倉市と大分県日田市のちょうど県境、「三日月山」付近なのだ。

( この山の景色に不思議と強く惹きつけられるのはこのせいなのか? )

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【大蔵永季と出雲の小冠者相撲の絵馬】
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【日田神社】

 

河北家では毎年1月19日、一族が うきは市に集い、祖先に感謝をし河北家が今後も連綿と続くことを祈る「祖先祭」を行っています。
河北家の歴史を改めて知るために祖先祭を終えた後に祖先が祀られている大分県日田市の日田神社と永興寺(ようこうじ)を訪問。
一族で訪問するのは約40年ぶり。
私は初めて訪れました (日田神社に訪れた年が40才のときですから)
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 ✜  楠森堂 Blog  ✜
力士が相撲を取る姿を模した河北家の家紋 『相撲取り紋』。
相撲の神様「日田どん」こと大蔵永季 (ながすえ) は 42代前の河北家の祖先。
(大分県日田市)
 ⇩   ⇩   [tap]   ⇩   ⇩
 kusumoridou.com/blog/相撲の神様/大蔵永季
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[ 動画 ]
⋄楠森河北家 先祖物語⋄ JNN九州沖縄ドキュメント『ムーブ・move』
/2015年 (平成27) 放送

 


 

 

 

ちなみに…
どうしてこの様な凹んだ山の形になったかというと…

とても面白い言い伝えがあります(^^♪

うきは市から東に40kmほど離れた大分県の〝童話の里〟としても有名な 大分県「玖珠 (くす)町」という所があります。

 

その町に「万年山=はねやま」、通称〝伐株山〟という、その名のとおり “ 切り株 ” の形をした山があります。

 

❑ 大分県玖珠町 ❑

なぜ「くす」と言うの? (生い立ちと伝説)
⇩   ⇩   [Tap]   ⇩   ⇩
https://www.town.kusu.oita.jp/kanko_bunka_
「伝説が残る伐株山」

 

遠い遠い昔…

この玖珠町に大きな大きなクスの木が立っていました。

その大きなクスの木が太陽の光を遮り、木の陰になった土地では作物も育たず、人々は困り果てていました。
ある時、

大男がそのクスの木を切り倒してくれました。

その跡が〝伐株山〟。

 

そして…

超巨大なクスの木の幹が倒れ込んだその跡が、

この〝三日月山〟の凹んだ形を作り上げた…

とも言い伝えられています(^^)。

 

※ ⇩「童話・伐株山 ( 玖珠町今昔物語より )」はコチラを

  https://www.town.kusu.oita.jp/伐株山の童話【1】
  https://www.town.kusu.oita.jp/伐株山の童話【2】
  https://www.town.kusu.oita.jp/伐株山の童話【3】

 

そして今ある地名も、

JR久大本線をうきは市からお隣りの大分県に入ると…

夜明(よあけ)→ 光岡(てるおか)→ 日田駅 と続き、また“朝日”という地名も…。

というように、

太陽の光が射した!という由来から名づけたと思われる地名がついているんです♪

 

さらには、筑後川下流「ここまでは来るめ~」と思っていたところに、倒れたクスの木の先の方がとどいた事から〝久留米〟市…
倒れた木の下を腹をズリながらくぐった場所を “原鶴 (はらづる/原鶴温泉) ”
倒れたクスの木の葉が落ちてきて、葉の形が残ったことからついた〝博多〟(葉形)…

耳納連山 は倒れたクスの「幹」にあたる…

 

などなど、

他にもいろいろと… (伐株山の童話【3】にさらに色々な伝えが♪)
はてさて〝枝葉が広がって〟おりますが、

どこまでが昔から伝わる話なのか (^_^;)…

 


 


 

 

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✻✻✻ 他「 大分県 & 楠森堂 」の関連 Blog話題  ✻✻✻
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⇩【玖珠郡玖珠町】
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戦後、幼稚園(私立 二葉幼稚園)だった「楠森堂」。
童話作家・久留島 武彦氏 (くるしま たけひこ)と過去に交流も!?
(大分県玖珠郡玖珠町)
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kusumoridou.com/blog/童話作家・久留島 武彦
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⇩【日田市】
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力士が相撲を取る姿を模した河北家の家紋 『相撲取り紋』。
相撲の神様「日田どん」こと大蔵永季 (ながすえ) は 42代前の河北家の祖先。
(大分県日田市)
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—【うきは市 公式】「うきはのはなし|うきはのひと」—
在来種のお茶をツールに「楠森河北家住宅」を守りたい
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[ 楠森堂 ]  国登録有形文化財「楠森河北家住宅」

►“脱サラ.移住.就農.15年目/2020(R.2) ” UP記事。
【※※ 2006年 (平成18年) ►脱サラ・移住・就農 】

 


 


 


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