楠森堂ブログ

明治時代に描かれた錦絵を見て感動!!

在来種のお茶

先日、西日本新聞の〝九州食紀行〟という特集コーナーの『お茶〝幕末から輸出が本格化〟』という題で、明治18(1885)年に描かれた横浜港の錦絵が掲載されていました。
幕末から始まった海外への輸出。その重要品目は、「生糸」と「日本茶」でした。明治18年 横浜港
大きな黒い蒸気船から次々に積み下ろされている荷物の中身はというと…〝お茶!〟
しかも!この大量に運ばれているお茶…実は〝在来種!〟のお茶なんですねー。
現在、国内で生産、販売されているお茶は、昭和40年以降に〝植え替え〟や〝新植〟が盛んに行われ急速に普及した生産性の高い「品種茶 やぶきた」やその他の〝改良品種茶〟がほとんどですが、それ以前は国内には在来種のお茶園しかありませんでしたからね
※ 現在、日本国内の97%の茶園が品種化され、昔ながらの在来種のお茶園はわずかしか残っていないんです
ということは、日本史に登場する歴史的人物…千利休、徳川家康など戦国武将、今もの凄いブームの坂本龍馬…などなどなど、味わっていたお茶はというと〝在来種!〟なんです!
「在来種のお茶!」凄いですねー… 感動
話しは少しそれてしまいますが…
この新聞記事に「全国の茶生産地からお茶を集めた日本茶を、長い船旅に耐えられるように再び乾燥し、輸出用の梱包をしていました」という一文がありました。
船に積み込まれたお茶は長い月日をかけて海外に運ばれ、海外で飲まれていたお茶は〝熟成〟されたお茶だったと思われます。
現代のお茶は、窒素ガスを充填、真空状態で梱包し冷蔵冷凍庫で保管し、長期間新鮮な状態を保つ技術が進んだために〝熟成〟されたお茶というのを味わえる機会は無くなりました。
お茶も、ワインやウィスキーの〝何年もの〟というのと同じように、乾燥させたお茶を涼しい場所で保管し、適度に空気とふれ合わせることで、ゆるやかに発酵し、円熟味のあるまろやかな味わいのお茶へと変わっていきます。
昔〝新茶〟(抹茶)は秋だった…ということをご存知ですか?
茶道では、秋に「口切りの茶事」と言われる一年で最も重要な茶事が伝統的に行われています。
春に摘み採った新茶をすぐに味わうのではなく、茶壷に詰め封印し、土蔵にて熟成させます。
空気が乾燥し芳香高く広がる季節の秋に、その壷の口を切り、初めてその年の新茶を味わいます。
江戸時代、将軍 徳川家康は抹茶が大好きで、一年を通して涼しい山の上の3ヶ所に氷室(氷で冷やした倉庫)を造り、初夏に摘み採って製茶した〝てん茶(抹茶にひく前のお茶)〟を茶壷に入れ封印し、その氷室に保管していたそうです。
お茶が熟成した秋に山から下ろし、茶壷の封印した口を切り、〝殿様〟がその年の新茶を一番初めに味わっていたそうです。一般庶民は〝将軍様〟の後にしか新茶を味わう事が出来なかったそうです。
春に味わう摘みたてのお茶も爽やかでとても美味しいものですが、秋以降の熟成されたお茶も美味しいですよ
長年お茶を購入して頂いているお客様がいるのですが、この新茶の時期に…「古茶をいただけますか?」と言われます。 〝通〟ですねー
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面白いデータ見つけました!
明治以降から現在までのお茶の輸出の推移を表したグラフです。
幕末以降にお茶の輸出が始まりました。輸出先は主にアメリカ合衆国でしたが、日本茶に対する嗜好が急速に広まり、大正時代には、お茶の輸出量が3万トンに達しています!
緑茶輸出量の推移
しかし、1960年代以降は停滞期に入っています。ちょうど国内のお茶が、在来種のお茶園から品種化されたお茶園へと移行する時期と重なります。
在来園から品種園への転換
近年、海外での日本食ブームによる影響もあり、お茶の輸出量が少しずつ増えつつありますが、それでも輸出量は千数百トン…
幕末以降、昭和初期まで日本の輸出を支えていた日本茶…
長い月日をかけて海を渡り、海外の方が味わっていたそのお茶は…
〝熟成された在来種のお茶!〟でした  感動


 

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